文士の筆跡 1:作家篇1

はじめに
私は、木俣・瀬沼・楠本・松井の諸氏に協力して本巻の絹集にあたり、文士の筆跡をかなり多く見る機会を得たのは幸であつた。私自身は書そのものの深い味はひを知らず、自分の書く文字はただ記号として、自分の思想や感情を人に伝へれば足りるものと思つてゐた。今もさう思つてゐる。
しかし、私がこれまでの著述生活の中で見て来た文士たちの文字は、実に種々雑多で、その変化の多いことは驚くほどである。現代においては、昔からきまつてゐた文字の崩しかたとは違ふところの、活字を拾ふ人々に読んでもらふためのみの文字を、文士たちは原稿用紙に書くのである。中には、その人の原稿を活字に拾ふことの専門の職工がゐて、外の人では読めない、といふのもある。
それほど日本の文字の書き方は雑多になり、きまつた流儀といふものが失はれてきた。昔の人の文字ならば、いかに乱暴に崩してあつても崩し方といふ一定の方式があるから推定して読めるのであつたが、その境界が失はれた。筆をもつて文字を書くことも少くなつた。ペンや鉛筆で書きやすいやうに書くために、筆のときと書体が別になるといふこともある。
私自身の書くものなども、とうてい文字と言へないやうなものである。しかし、自分のみでなく、外の文士たちの文字を看てゐると、さういふ崩し方の限界を過ぎた文字にも、また別個な風格が現はれるのは、不思議なほどである。
明治のはじめ頃の文士の多くは筆で書いてゐたので、たいていの文士は甚だ能筆であつた。それがペン書きになり、字体も変つて今日に来て下手な文字の面白さが生れていると言ふべきか。その変化と味はひ、その文字とその人の作品の風格との結びつきを考へるところにこの種の本の面白さがあるのだらう。
私は本巻の編者として、簡単な近代文学史風の解説を書くことを依頼されたのであるが、近来身辺多忙を極め、到底新稿を起すことはできなかつた。あれこれと苦慮した結果、たまたま私の旧著に「近代日本の文学史」といふのがあるので、その中から必要と思はれる項目を抜萃引用して、役に立たせ、責を果たすこととした。好むところでないが、目下の事情としてやむを得ない。
編集部の助力を得て、その抜萃を整理し、本書の末尾にのせたのがそれである。大方の寛恕を得たい。
昭和四十三年四月 伊藤整
(本文〝はじめに〟より)
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私は、木俣・瀬沼・楠本・松井の諸氏に協力して本巻の絹集にあたり、文士の筆跡をかなり多く見る機会を得たのは幸であつた。私自身は書そのものの深い味はひを知らず、自分の書く文字はただ記号として、自分の思想や感情を人に伝へれば足りるものと思つてゐた。今もさう思つてゐる。
しかし、私がこれまでの著述生活の中で見て来た文士たちの文字は、実に種々雑多で、その変化の多いことは驚くほどである。現代においては、昔からきまつてゐた文字の崩しかたとは違ふところの、活字を拾ふ人々に読んでもらふためのみの文字を、文士たちは原稿用紙に書くのである。中には、その人の原稿を活字に拾ふことの専門の職工がゐて、外の人では読めない、といふのもある。
それほど日本の文字の書き方は雑多になり、きまつた流儀といふものが失はれてきた。昔の人の文字ならば、いかに乱暴に崩してあつても崩し方といふ一定の方式があるから推定して読めるのであつたが、その境界が失はれた。筆をもつて文字を書くことも少くなつた。ペンや鉛筆で書きやすいやうに書くために、筆のときと書体が別になるといふこともある。
私自身の書くものなども、とうてい文字と言へないやうなものである。しかし、自分のみでなく、外の文士たちの文字を看てゐると、さういふ崩し方の限界を過ぎた文字にも、また別個な風格が現はれるのは、不思議なほどである。
明治のはじめ頃の文士の多くは筆で書いてゐたので、たいていの文士は甚だ能筆であつた。それがペン書きになり、字体も変つて今日に来て下手な文字の面白さが生れていると言ふべきか。その変化と味はひ、その文字とその人の作品の風格との結びつきを考へるところにこの種の本の面白さがあるのだらう。
私は本巻の編者として、簡単な近代文学史風の解説を書くことを依頼されたのであるが、近来身辺多忙を極め、到底新稿を起すことはできなかつた。あれこれと苦慮した結果、たまたま私の旧著に「近代日本の文学史」といふのがあるので、その中から必要と思はれる項目を抜萃引用して、役に立たせ、責を果たすこととした。好むところでないが、目下の事情としてやむを得ない。
編集部の助力を得て、その抜萃を整理し、本書の末尾にのせたのがそれである。大方の寛恕を得たい。
昭和四十三年四月 伊藤整
(本文〝はじめに〟より)
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作家篇Ⅰ
はじめに ――――――――――――――――――――――――――――――――――――伊藤整
仮名垣魯文/河竹黙阿弥/成島柳北/坪内逍遙/二葉亭四迷/森鷗外/尾崎紅葉/山田美妙/
幸田露伴/広津柳浪/川上眉山/泉鏡花/樋ロ一葉/半井桃水/斎藤緑雨/小杉天外/徳富蘇峰/
三宅雪嶺/志賀重昻/植村正久/内村鑑三/徳富蘆花/木下尚江/堺利彦/田岡嶺雲/幸徳秋水/
大杉栄/長谷川如是閑/内田魯庵/高安月郊/高山樗牛/島村抱月/国木田独歩/島崎藤村/
田山花袋/徳田秋声/正宗白鳥/岩野泡鳴/近松秋江/上司小剣/平塚らいてう/神近市子/
岡本綺堂/真山青果/小山内薫/武林無想庵/中村吉蔵/吉田絃二郎/岸田国士/長谷川時雨/
田村俊子/中里介山/長谷川伸/直木三十五/白井喬二/江戸川乱歩/吉川英治/大仏次郎/
尾崎士郎/浜本浩/芹沢光治良/中山義秀/滝井孝作/尾崎一雄/上林暁/川崎長太郎/
林芙美子/吉屋信子/円地文子/山本周五郎/山岡荘八/松本清張
明治大正文学の潮流――――――――――――――――――――――――――――――――伊藤整
作家の筆跡Ⅰ――――――――――――――――――――――――――――――――――松井如流
図版目録
はじめに ――――――――――――――――――――――――――――――――――――伊藤整
仮名垣魯文/河竹黙阿弥/成島柳北/坪内逍遙/二葉亭四迷/森鷗外/尾崎紅葉/山田美妙/
幸田露伴/広津柳浪/川上眉山/泉鏡花/樋ロ一葉/半井桃水/斎藤緑雨/小杉天外/徳富蘇峰/
三宅雪嶺/志賀重昻/植村正久/内村鑑三/徳富蘆花/木下尚江/堺利彦/田岡嶺雲/幸徳秋水/
大杉栄/長谷川如是閑/内田魯庵/高安月郊/高山樗牛/島村抱月/国木田独歩/島崎藤村/
田山花袋/徳田秋声/正宗白鳥/岩野泡鳴/近松秋江/上司小剣/平塚らいてう/神近市子/
岡本綺堂/真山青果/小山内薫/武林無想庵/中村吉蔵/吉田絃二郎/岸田国士/長谷川時雨/
田村俊子/中里介山/長谷川伸/直木三十五/白井喬二/江戸川乱歩/吉川英治/大仏次郎/
尾崎士郎/浜本浩/芹沢光治良/中山義秀/滝井孝作/尾崎一雄/上林暁/川崎長太郎/
林芙美子/吉屋信子/円地文子/山本周五郎/山岡荘八/松本清張
明治大正文学の潮流――――――――――――――――――――――――――――――――伊藤整
作家の筆跡Ⅰ――――――――――――――――――――――――――――――――――松井如流
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